人物を辿る

土御門範忠とは──晴明から39代、最後の土御門子爵と天社土御門神道の再興

土御門範忠(つちみかど のりただ)は、安倍晴明を祖とする土御門家の昭和の当主です。兄の急逝で家を継いだのは太平洋戦争末期の昭和19年(1944)。3年後に華族制度がなくなったため、爵位を持った最後の土御門家当主になりました。戦後は、明治に途絶えた家学・陰陽道を「天社土御門神道」として再興する動きに加わり、宗教法人となった本庁の管長を務めています。本稿は、官報・華族名簿・公式由緒など、紙面で確認できる記録から範忠の歩みを辿ります。晴明から続く土御門家の千年の流れは「安倍晴明の子孫と土御門家のその後」にまとめています。

執筆:星詣編集部

結論:最後の土御門子爵として家を継ぎ、天社土御門神道の管長を務めた

土御門允光から高倉範忠、そして土御門範忠へ──兄の死と家督(1920–1944)

範忠の父・土御門晴善は、三室戸和光の三男として生まれ、土御門家に入って大正14年(1925)に家督を継いだ人です(『昭和新修華族家系大成』)。範忠はその二男として大正9年(1920)7月18日に生まれ、はじめ「允光」と名付けられました。学習院の名簿には「土御門允光」の名で載り、昭和16年(1941)には東京帝国大学文学部心理学科に入学しています(『東京帝国大学一覧』)。

ところが翌昭和17年(1942)6月の『華族名簿』では、彼は「高倉範忠」として、子爵高倉篤麿の嗣子に記されています。範忠の名はこのとき、高倉家の跡取りとして付いたものでした。養父となった高倉篤麿は、当時伊勢の神宮大宮司を務めていた人です(『華族名簿』昭和18年)。

一方、土御門家は兄の熙光が継いでいました。父・晴善が昭和9年(1934)に亡くなり、熙光は16歳で家督を相続します。公式由緒によれば、昭和17年(1942)には熙光を総裁として「土御門神道同門会」が結成され、明治以来途絶えていた家学を再び興そうとする動きが始まりました。しかし熙光は、昭和19年(1944)5月、26歳で世を去ります。

同年7月17日の官報は、「故子爵土御門凞光家督相續人 從五位 土御門範忠」に襲爵を命じたことを伝えています。高倉家との養子縁組は解かれ、範忠は生家に戻って土御門家を継ぎました(家系大成は「高倉篤麿養子(離)」「昭和19年7月承」と記します)。その2か月後の9月、範忠は東京帝国大学を卒業しています。戦時下の繰り上げ卒業で、在学はおよそ3年でした。

最後の土御門子爵──襲爵から華族制度の廃止まで(1944–1947)

範忠が子爵だった期間は、3年足らずです。昭和22年(1947)5月3日に施行された日本国憲法は「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」と定め、華族制度は廃止されました。明治に華族に列した土御門家にとって、範忠は爵位を持った最後の当主になりました。

天社土御門神道の再興と管長として(1946–)

由緒によれば、熙光の志は範忠に引き継がれ、昭和21年(1946)5月21日、「天社土御門神道」として再興が果たされました。同じ年、土御門家に代々仕えた藤田家の37代当主・藤田乾堂(義男)が若狭から上洛し、復興に力を尽くします。昭和29年(1954)1月11日、「宗教法人天社土御門神道本庁」として文部大臣の認証を受け、管長に範忠、代表兼庁長に藤田乾堂が就きました。御神体は京都に仮安置されたのち、名田庄へ遷されたと由緒は記します。

同じ昭和29年版の『宗教家名鑑』は、範忠を天社土御門神道の「司天官」「管長」として載せています。以後も文部省の『宗教年鑑』各年版に、管長として範忠の名が続きます。宗教史家の西田長男は、範忠を管長に仰いで天社土御門神道が教派神道の一派として再建された、と記しました(『日本神道史研究』第7巻)。

管長としての範忠の姿を書き留めた人もいます。科学史家の吉田光邦は、若狭の霊場で行われた夏越祓と八朔祭を訪ね、神事を終えた直会の場面をこう記しました。

管長の土御門範忠氏、庁長の藤田義男氏二人の冠の纓に、白く夏の午後の陽に照りつける五芒星が織りだしてあるのが目についた。

吉田光邦『星の宗教』(淡交社、1970年)206頁

同書は、霊場のそばの神社に加茂・貴船・善積川上・天社泰山府君の四社が合祀され、それらが名田庄を領有した土御門家の勧請によるものだと続けています。晴明以来の星の紋が、戦後の名田庄の祭祀の場で、当主の装束に織り込まれていたことになります。

管長としての範忠の仕事が形に残るものに、暦があります。昭和48年(1973)に天社土御門神道本庁が編んだ『陰陽対照九星配置万年暦』(晴明社刊、590頁)は、範忠の校訂によるものです。天文・暦道を家業としてきた土御門家の当主が、戦後も暦の校訂に名を連ねていたことになります。

範忠の没後──管長を置かない本庁

平成7年(1995)6月刊の『宗教民俗研究』5号に載った論文は、範忠を「故土御門範忠氏(晴明三九世)」と記しています。没年を平成6年(1994)とする資料もありますが、本稿では公刊物で確認できる「1995年6月までに没」に留めます。庁長だった藤田義男も、平成7年(1995)に亡くなっています(国立国会図書館典拠)。

現在の天社土御門神道本庁は、福井県おおい町名田庄納田終に本庁を置き、藤田家が代表を務めています。

編集部注:範忠の没後の土御門家と本庁の関係について、第三者の資料には「土御門家は家職を本庁に委ね、以後関与していない」とする記述があります。一方、公式由緒はこの点に触れていません。本稿はどちらかを断定しません。土御門家の現在については、土御門家の現在を扱った記事をご覧ください。

範忠をたどる地

記録に残る範忠の住まいは、東京(学生時代)、大阪(昭和29年の名鑑)、兵庫(昭和59年の家系大成)で、名田庄に住んだ記録は見当たりません。土御門家が名田庄で暮らしたのは、応仁の乱を避けた室町・戦国期の三代(有宣・有春・有脩)のことです。有宣ら三代の墓所は、いまも納田終に残っています(土御門家墓所)。

範忠の時代に名田庄とのつながりを結び直したのは、御神体の遷座でした。管長となった範忠は、名田庄の祭礼に装束を整えて臨んでいます(前述の『星の宗教』)。本庁が置かれ、祭祀が営まれている地は「天社土御門神道本庁」で紹介しています。名田庄に伝わる暦の資料は暦会館で見ることができます。

年表──土御門範忠の歩み

年できごと出典等級
1920(大正9)7月18日、土御門晴善の二男として誕生。初名は允光A(華族名簿・家系大成)
1934(昭和9)父・晴善が没し、兄・熙光が家督を相続A(家系大成)
1941(昭和16)東京帝国大学文学部心理学科に入学(土御門允光)A(東京帝国大学一覧)
1942(昭和17)6月時点で子爵高倉篤麿の嗣子「高倉範忠」。熙光を総裁に土御門神道同門会A(華族名簿)/A(由緒)
1944(昭和19)5月、熙光没。7月、熙光の家督相続人として襲爵。9月、東京帝大卒業A(官報・家系大成・卒業生氏名録)
1946(昭和21)5月21日、「天社土御門神道」再興A(由緒)
1947(昭和22)日本国憲法施行により華族制度廃止A(法令)
1954(昭和29)1月11日、宗教法人天社土御門神道本庁。管長に範忠A(由緒)/B(宗教家名鑑)
1973(昭和48)『陰陽対照九星配置万年暦』を校訂B(書誌)
〜1995(平成7)6月刊の論文に「故土御門範忠氏」B(宗教民俗研究)

よくある質問

土御門範忠とはどんな人ですか?
安倍晴明を祖とする土御門家の昭和の当主です。昭和19年(1944)に兄・熙光の跡を継いで子爵となり、華族制度の廃止までその地位にありました。戦後は天社土御門神道の再興に加わり、宗教法人となった本庁の管長を務めました。
範忠は安倍晴明の子孫ですか?
家督の継承としては、晴明から数えて39代目の当主にあたります(『昭和新修華族家系大成』の代数による)。ただし土御門家は江戸時代後期から養子による相続を重ねており、泰栄は分家の倉橋家(同じ安倍氏)、晴行は松平家、範忠の父・晴善は三室戸家の出身で、晴善の妻も土御門家の出ではありません。このため、家系大成に記された範囲では範忠と晴明を結ぶ血縁はたどれず、範忠は晴明以来の家名・家督・家学を受け継いだ当主と見るのが正確です。家系の流れは安倍晴明の子孫と土御門家の系譜で詳しく扱っています。
範忠は名田庄に住んでいたのですか?
記録で確認できる範囲では、住んでいません。範忠の住まいは東京・大阪・兵庫と移っています。名田庄に移り住んだのは、室町・戦国期の土御門有宣ら三代です。範忠の時代には、再興した天社土御門神道の御神体が名田庄に遷され、範忠も管長として名田庄の夏越祓・八朔祭に臨んでいます。
土御門家は今どうなっていますか?
家が近代まで続いたことは公文書や百科事典で確認できますが、存命の方の現況は本サイトでは扱いません。詳しくは「安倍晴明の子孫は現在どこに」をご覧ください。

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出典・参考

  1. A官報 第5251号(昭和19年7月17日)151頁(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. A『華族名簿』昭和17年6月1日現在・昭和18年7月1日現在(華族会館)
  3. A『昭和新修華族家系大成』下巻(霞会館、1984年)100頁
  4. A『学習院一覧』昭和8年・10年・12年、『東京帝国大学一覧』昭和16年度、『東京大學卒業生氏名録』(1950年)
  5. A天社土御門神道本庁「天社宮の由緒」 onmyodo.jp/shakaku
  6. A日本国憲法 第14条第2項
  7. B『宗教家名鑑』昭和29年版(日本宗教時報社、1954年)
  8. B文部省『宗教年鑑』昭和31年版ほか各年版
  9. B西田長男『日本神道史研究』第7巻(講談社、1978年)
  10. B吉田光邦『星の宗教』(淡交社、1970年)206頁
  11. B天社土御門神道本庁編『陰陽対照九星配置万年暦』(晴明社、1973年)
  12. B『宗教民俗研究』5号(日本宗教民俗学会、1995年)

等級:A=一次資料(公文書・公式由緒・自治体公式。伝承部分は「〜と伝わる」と表記)/B=学術・百科事典