天壇 泰山府君社跡
天壇 泰山府君社跡は、若狭・名田庄納田終の集落の背後、一段高い山裾に残る土御門家の史蹟です。応仁の乱を逃れた安倍(土御門)家がここに館を構えて泰山府君を祀り、三代にわたって陰陽道と天文・暦の道を守った地で、四色の鳥居に囲まれた天壇、居館跡、土御門家墓所が一体となって伝わります。
由来・伝承
名田庄と安倍家の関わりは南北朝時代にさかのぼります。おおい町暦会館が引く『名田庄村誌』は、文和年間(1352〜56年)に泰山府君祭料としてこの地が縫殿頭・安倍有世に与えられたのを初見とし、天社宮の由緒は正和六年(1317年)の花園天皇綸旨によって泰山府君祭料地と定められたと伝えます。応仁の乱(1467年)で都が戦火に見舞われると、有世の曾孫にあたる安倍有宣は長享二年(1488年)、五十五歳で若狭に下向し、所領であった名田庄上村(現在の納田終)に居を移しました。若狭守護・武田氏の有力被官で名田庄の代官であった粟屋氏の援助があったと村誌は推測しています。
有宣(永正十一年没)、有春(永禄十二年没)、有脩(天正五年没)の三代はここに住み、館の一角に泰山府君を祀る社を建て、天文の道場を開いて暦を編み続けました。三代とも陰陽頭として都との往来を絶やさず、名田庄に都の文化を注いだと町は記します。有脩の子・久脩は永禄三年(1560年)に納田終で生まれ、慶長五年(1600年)に勅命を受けて上洛、翌年に土御門家は京都へ帰館しました。土御門家を名乗るようになったのは有宣の代からと伝わります。
一家が京都へ戻ったのちも泰山府君社は残り、寛永二年(1625年)には当主・土御門泰重が少年期を過ごした納田終を九日間訪れて墓所を修復したことが『泰重卿記』に記されています。嘉永六年(1853年)、京都の土御門家で営まれた晴明公八百五十回御神忌の関連事業として墓所が修復され、安政二年(1855年)には天社泰山府君社が再建されました。社の祭祀は明治四十一年(1908年)まで続いたと伝わり、戦後、天社土御門神道本庁の再興とともに、社跡の入口に天社宮の社殿が置かれて今日に至ります。
見どころ
史蹟の中心は「天壇」です。方形の壇の四方を青・赤・白・黒の四色の鳥居が囲み、それぞれ東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武の四神を表します。天社土御門神道の祭儀が営まれる場で、天壇と境内はいつでも見学できます。壇の脇には泰山府君社の祠跡があり、麓から一段高いこの一帯が土御門家の館跡と伝わります。境内には稲荷社があり、晴明公の母・葛の葉を祀ると伝わります。
西の谷筋、小字小谷の山麓には土御門(安倍)家墓所があります。有宣・有春・有脩三卿の墓標を刻んだ五輪塔が苔むして並ぶ墓所は、福井県指定史跡(昭和三十二年七月三十日指定)で、土御門史跡保存会が守っています。集落の加茂神社は貞和四年(1348年)の勧請と伝わり、本殿と拝殿がおおい町指定文化財。土御門家の家臣であった谷川家が宮司を務め、土御門家所蔵の「谷川文書」を伝えると天社宮の由緒に記されます。
アクセス
- 所在地
- 福井県大飯郡おおい町名田庄納田終(天社宮:納田終129-9)
- 見学
- 天壇・境内は常時見学可。天社宮の社務所は不定期のため、御祈祷・授与は公式サイトで事前確認
- 公共交通
- JR小浜線「若狭本郷」駅から車で約30分。おおい町営バス「白矢」バス停下車、徒歩約2分
- 車
- 舞鶴若狭自動車道「大飯高浜IC」から南川沿いに約40分。国道162号沿いに案内板があり、加茂神社の大杉付近に駐車して徒歩で巡ります
墓所は山裾の谷筋にあります。足元に注意し、祭祀の場と墓所であることに配慮して静かに見学してください。
周辺の関連スポット
- 天社土御門神道本庁(同じ境内)——社跡の入口に社殿を構える陰陽道宗家の本庁。御祭神・年中行事・御祈祷はこちらのページで。
- 暦会館(納田終・道の駅名田庄隣)——土御門家と名田庄の資料、古暦、天文器具を収める暦の資料館。史蹟の解説はここで。
- 稲住神社(京都・梅小路)——京都へ戻った土御門家が江戸時代に屋敷と天文台を構えた土御門邸跡の社。
- 晴明神社(京都・堀川一条)——晴明公の屋敷跡に創建された晴明信仰の中心。
よくある質問
- 天社土御門神道本庁とは別の場所ですか。
- 同じ場所です。天社土御門神道本庁(天社宮)の社殿は泰山府君社跡の入口に建ち、このページで案内する天壇・館跡・墓所はその境内と周辺に広がる史蹟です。御祭神や祭儀については本庁のページをご覧ください。
- 天壇とは何ですか。
- 方形の壇を四色の鳥居が囲む祭儀の場で、鳥居の色は四神(青龍・朱雀・白虎・玄武)を表します。天社土御門神道の祭儀がここで営まれ、平時も自由に見学できます。
- 墓所には誰が眠っていますか。
- 名田庄に住んだ安倍有宣・有春・有脩の三代です。墓標に永正十一年、永禄十二年、天正五年の没年が刻まれ、福井県指定史跡となっています。
出典・参考
- 陰陽道宗家 天社宮 公式サイト「天社宮由緒」(正和六年の綸旨・有宣の下向・久脩の上洛・谷川文書)
- おおい町暦会館「歴史文化」(『名田庄村誌』抜粋・土御門家年表・墓所の指定と墓標・泰重卿記・加茂神社)
- おおい町「土御門家墓所」(福井県指定史跡・管理者・三代九十余年の概要)
- FUKUI若狭ONEweb「土御門家史蹟」(史蹟の構成・明治四十一年までの祭祀・駐車)
- おおい町観光協会「安倍晴明ファンは見逃せない!スポットを紹介」(天壇の四色鳥居と四神・見学案内)
社寺・関係者の方へ:掲載内容の訂正、写真のご提供、取材・掲載のご相談はお問い合わせからお願いいたします。
最終更新:2026年8月31日
- 史蹟の構成
- 泰山府君社跡・土御門家館跡・天壇・土御門(安倍)家墓所
- 祭祀
- 室町期に創祀、明治四十一年(1908年)まで続いたと伝わる
- 墓所
- 福井県指定史跡(昭和三十二年)。安倍有宣・有春・有脩の三代
- 見学
- 天壇・境内は常時見学可
- 所在地
- 〒917-0375 福井県大飯郡おおい町名田庄納田終
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