結論:子孫は「土御門家」として続き、家学は「天社土御門神道」が継ぐ
- 血筋:安倍晴明を始祖とする安倍氏嫡流は、室町時代から「土御門」を家名とし、代々朝廷の陰陽頭・天文博士を務めた。明治になって華族に列し、子爵を授けられた(日本大百科全書)。
- 家学:明治3年(1870)、陰陽寮の廃止と「天社神道」禁止の太政官布告により、土御門家の家業としての陰陽道は終わった。戦後の昭和21年(1946)に子爵家の同門によって「天社土御門神道」として再興され、昭和29年(1954)に宗教法人の認証を受けた。本庁は福井県おおい町名田庄にある。
- 現在の当主:存命の方の個人情報にあたるため、本稿では公表されている昭和期までの記録に留める。
- 「安倍晋三は子孫か」:同じ「安倍」姓だが、系譜上のつながりを示す一次資料は確認されていない。
安倍氏から土御門家へ──名田庄に隠棲した三代
晴明(921–1005)の家は、代々天文・暦・陰陽道で朝廷に仕えた安倍氏です。室町時代に入ると、この家系は「土御門」を家名とするようになります(有宣の代からと伝わります)。ブリタニカ国際大百科事典は、土御門家を「左大臣阿倍倉梯麿の10代目晴明を始祖とするといわれる」家として記し、「代々天文、暦道、陰陽道で朝廷に仕え、国家の変事などを占って家名をあげた」と説明しています。
転機は応仁の乱(1467–77)でした。京の戦火を避けた土御門有宣は、若狭国名田庄(現在の福井県大飯郡おおい町名田庄納田終)に移ります。名田庄は南北朝期から土御門家の所領で、泰山府君祭の祭料地として与えられた土地でした。天社宮の公式由緒によれば、長享2年(1488)に有宣がこの地に社殿を再興したと伝わります。
有宣・有春・有脩の三代は名田庄に暮らし、朝廷や幕府に仕えながら陰陽道と天文・暦・易を司ったと伝えられます。三代の墓所は納田終の集落に現存し、おおい町は「陰陽師安倍晴明の子孫にあたる土御門家が3代にわたり、名田庄の地に移り住み、天文暦学の道場を開いた」ことを町の歴史として紹介しています。名田庄の天社土御門神道本庁と、隣接する暦会館は、この記憶を今に伝える場所です。
陰陽道宗家として──家康の認可、天社宮の宮号、全国陰陽師支配
有脩の子・土御門久脩は、慶長5年(1600)に上洛し、翌年には名田庄を引き上げて京の梅小路に邸宅を構えます。徳川家康から陰陽道宗家として認められ、家禄を賜ったと公式由緒は記します。世界大百科事典も、戦国期に一度没落した土御門(安倍)家が「江戸期に入って復興され」たと述べています。
天和2年(1682)、霊元天皇の勅宣により、土御門家の祭祀の場は「天社宮」の尊称を賜りました。翌天和3年(1683)、当主・土御門泰福のときに、朝廷から全国の陰陽師を統轄して免許を与える権限が与えられ、暦の作成も同家の支配下に入ります(世界大百科事典「陰陽師」)。以後、江戸時代を通じて土御門家は「陰陽道宗家」として、諸国の陰陽師を束ねる存在でした。
日本大百科全書によれば、戦国時代に暦術家の勘解由小路家が絶えたとき、詔により土御門有脩が天文博士と暦博士を兼ねることになり、以後同家は両博士を世襲しました。天文と暦の両方を握った土御門家は、幕末まで朝廷の暦を司る家であり続けます。
明治の断絶──陰陽寮の廃止と「天社神道」禁止の布告
明治3年(1870)、新政府は陰陽寮を廃止します。同年閏10月17日には太政官布告第745号が発せられ、「天社神道」と称して土御門家の免許を受けた者の活動と、以後の門人免許が禁じられました。この布告は『法令全書 明治3年』に収められています。
從來天社神道ト唱ヘ土御門家免許ヲ受ケ候者共兩刀ヲ帶シ繪符ヲ建宿驛通行候由甚以無謂事ニ付自今右等之所業被差止候間嚴重可申達尙今後門人免許一切被禁候旨今般土御門和丸ヘ御沙汰相成候條府藩縣ニ於テモ此旨相心得管內取締可致事
明治3年閏10月17日 太政官布告 第七百四十五「天社神道土御門家免許ヲ禁ス」『法令全書 明治3年』(国立国会図書館デジタルコレクション 259コマ)
同じ年、天文と暦の業務は新政府の所管に移り、土御門家は朝廷の暦を編む任から外れました。世界大百科事典は「1870年(明治3)陰陽寮の廃止とともに太陰暦もやめられ、官制の陰陽道はここに終止符を打った」と記します。家業としての陰陽道は、ここで終わりました。
一方で家そのものは続きます。明治2年(1869)に華族制度が成立すると、土御門家は旧公家として華族に列し、子爵を授けられました(日本大百科全書「土御門家」)。天社宮の公式由緒は、明治維新から78年のあいだ、御神体が「代々の当主の手により」守り続けられたと記しています。
昭和の再興──子爵家の同門会から宗教法人へ
再興の動きは戦時中に始まります。公式由緒によれば、昭和17年(1942)、土御門子爵家の当主・土御門熙光を総裁として「土御門神道同門会」が結成されました。熙光の父・晴善の生家である三室戸家(元伊勢神宮大宮司)の後援を得て、京都を中心に多くの社寺の支援を仰いだとされます。
熙光の没後、その志は弟の範忠に引き継がれ、昭和21年(1946)5月21日に「天社土御門神道」として再興が果たされました。同年、若狭から、土御門家に代々仕えた縁戚・藤田家の37代当主・藤田乾堂が上洛し、復興に尽力します。昭和29年(1954)1月11日、「宗教法人天社土御門神道本庁」として文部大臣の認証を受け、管長に土御門範忠、代表兼庁長に藤田乾堂が就任しました。御神体は京都で仮安置されたのち、名田庄へ改めて遷されたと由緒は記します。
現在、天社土御門神道本庁は福井県大飯郡おおい町名田庄納田終に本庁を置き、代表は土御門家の当主ではなく、同家の家政を担ってきた藤田家が務めています。晴明公以来と伝わる祭祀と、「安倍晴明暦」の作暦を家学として継承しているというのが同庁の説明です。
「安倍晋三は子孫?」「子孫の苗字は?」──よく検索される疑問に答える
検索でよく見られる疑問に、事実の範囲で答えます。
- 子孫の苗字は?──朝廷に仕えた嫡流は「土御門」です。明治以降も土御門子爵家として続きました。「安倍」姓を名乗る系統は各地に多くありますが、晴明の直系であることを一次資料で示せる家は限られます。
- 安倍晋三元首相は子孫か?──同姓ですが、安倍晋三氏の家系と安倍晴明の系譜をつなぐ一次資料は確認されていません。本サイトは、史料で裏付けられない系譜を「子孫」とは記しません。
- 土御門家は今も存在するか?──家として近代まで続いたことは百科事典・公文書で確認できます。存命の方の現況は個人情報にあたるため、本稿では扱いません。
- なぜ陰陽師はいなくなったのか?──明治3年の陰陽寮廃止と太政官布告第745号により、公的な職業としての陰陽師は禁止されたためです。信仰や暦の文化は民間に残り、戦後に名田庄で再興されました。
年表──安倍晴明から現在まで
| 年 | できごと | 出典等級 |
|---|---|---|
| 921–1005 | 安倍晴明。天文・暦道・陰陽道で朝廷に仕える | B |
| 室町時代 | 安倍氏嫡流が「土御門」を家名とする | B |
| 1488(長享2) | 土御門有宣が若狭名田庄に社殿を再興したと伝わる | A(由緒) |
| 1600(慶長5) | 土御門久脩が上洛。翌年、梅小路に邸宅。家康より陰陽道宗家として認可 | A(由緒)/B |
| 1682(天和2) | 霊元天皇の勅宣により「天社宮」の尊称 | A(由緒) |
| 1683(天和3) | 土御門泰福に全国陰陽師の統轄・免許の権限 | B |
| 1870(明治3) | 陰陽寮廃止。閏10月17日 太政官布告第745号で天社神道を禁止 | A(公文書) |
| 明治 | 土御門家、華族(子爵)に列す | B |
| 1942(昭和17) | 土御門熙光を総裁に土御門神道同門会 | A(由緒) |
| 1946(昭和21) | 5月21日「天社土御門神道」再興 | A(由緒) |
| 1954(昭和29) | 1月11日 宗教法人認証。管長 土御門範忠、庁長 藤田乾堂 | A(由緒) |