清浄華院
清浄華院は、京都御所の東に建つ浄土宗の大本山です。晴明公が泰山府君の法を修して弟子に師の病を移し、身代わりに立った弟子のために不動明王が涙を流したという物語を描く『泣不動縁起絵巻』(重要文化財)を伝えています。
由来・伝承
清浄華院は、貞観二年(860年)に清和天皇の勅願により慈覚大師円仁が御所内に仏殿の造営を始め、禁裏内の道場として発足したのが始まりと伝わります。はじめは天台宗でしたが、後白河法皇が法然上人を住持としたことから浄土宗に転じ、幾度かの移転を経て天正十八年(1590年)に現在の地に落ち着きました。浄土宗の大本山として、国宝の絹本著色阿弥陀三尊像をはじめ多くの寺宝を伝えています。
晴明公にまつわる寺宝が『泣不動縁起絵巻』です。三井寺の高僧・智興が重い病に倒れ、弟子たちが晴明公に占わせると、宿業の病ゆえ治らないが、身代わりになる者があれば祈祷はできると答えます。名乗り出たのは最も若い弟子の証空でした。晴明公が泰山府君の法を修すると、智興の病は証空に移ります。苦しむ証空が日ごろ拝んでいた不動明王の画像に助けを求めると、画像の不動明王は涙を流し、「汝は師に代わる、我は汝に代わらん」と言って壇上に落ち、証空の病はたちまち癒えたといいます。絵巻は、不動明王が証空の身代わりとして閻魔王庁へおもむき、雲に乗って現世へ戻る場面までを描きます。
この説話は『今昔物語集』や『宝物集』、三井寺の記録にも見え、室町時代の『曽我物語』では晴明公自身が不動尊像を本尊として命替えの修法を行う形に変わっていきます。清浄華院の絵巻は詞書を欠くにもかかわらず物語が読み取れるほど、この話が広く知られていたことを物語っています。
見どころ
『泣不動縁起絵巻』は室町時代初期の制作とされる大和絵の絵巻で、整った構図と濃彩の彩色が特徴です。重要文化財として通常は国立博物館に寄託されており、非公開文化財特別公開などの機会に公開されることがあります。境内には身代わり不動として信仰される「泣不動尊」が祀られ、寺は毎月の写経会など、参拝者が仏道に触れる行事を営んでいます。
アクセス
- 所在地
- 京都市上京区寺町通広小路上ル北之辺町395
- 拝観
- 境内は自由。寺宝の公開は特別公開時のみ
- 市バス
- 「府立医大病院前」下車、徒歩約5分(4・205系統など)
- 電車
- 京阪・叡山電鉄「出町柳」駅から徒歩約10分
絵巻の公開予定・行事は変更されることがあります。最新の情報は公式サイトでご確認ください。
周辺の関連スポット
- 真正極楽寺 真如堂(左京区)——『真如堂縁起』に晴明公の蘇生伝説を伝え、念持仏の不動明王と五行之印を今に伝える寺。
- 晴明神社(堀川一条)——晴明公の屋敷跡に創建された晴明信仰の中心。
- 一条戻橋(堀川一条)——晴明公が式神を潜ませたと伝わる橋。
よくある質問
- 泣不動縁起絵巻はいつ見られますか。
- 通常は国立博物館に寄託されており、非公開文化財特別公開などの機会に限られます。公開予定は公式サイトの案内をご確認ください。
- 物語の中で安倍晴明は何をしたのですか。
- 師・智興の病を占い、身代わりを申し出た弟子・証空に泰山府君の法で病を移しました。死の定めそのものを変えることはできず、以後の物語は不動明王が主役になります。
- 真如堂の不動明王と同じものですか。
- 別のものです。真如堂は晴明公の念持仏と伝わる不動明王、清浄華院は証空の身代わりとなって涙を流した「泣不動」の物語を伝えています。
出典・参考
- 浄土宗大本山 清浄華院 公式サイト(泣不動縁起絵巻、泣不動尊と安倍晴明)
- 『泣不動縁起絵巻』(重要文化財)、『今昔物語集』『宝物集』『曽我物語』(説話の系譜)
- 京都観光情報 KYOTOdesign(創建・アクセス)
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最終更新:2026年8月30日
- 宗派
- 浄土宗 大本山
- 創建
- 貞観二年(860年)慈覚大師円仁・清和天皇勅願
- 晴明公ゆかり
- 『泣不動縁起絵巻』(重要文化財)・泣不動尊
- 拝観
- 境内自由。寺宝は特別公開時
- 所在地
- 〒602-0852 京都府京都市上京区北之辺町395
- 地図
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- 公式サイト
- https://www2.jozan.jp/
- https://www.instagram.com/jozan_860/