福井県

晴明神社

〒914-0062 福井県敦賀市相生町8−20

敦賀の晴明神社は、気比神宮の西、相生町の住宅地に鎮座する小さな社です。安倍晴明公が正暦年間(990〜994年)にこの地に住み、天文・地文の研究に励んだと伝わり、御神体の「祈念石」を祭壇の床下の小窓から拝む、他に例のない参拝の作法で知られます。

由来・伝承

境内の由緒書によれば、この地は往古より保食神を祀る神祠の旧跡でした。正暦年間(990〜994年、一条天皇の御代)、晴明公は当地に住んで天文・地文の研究を重ね、日夜この神祠に参詣して信仰篤かったと伝わります。天文の奥義を究めるために供したという霊石が、御神体として祀られる祈念石です。生年を延喜二十一年(921年)とする通説に従えば、正暦年間の晴明公は七十歳前後、晩年にあたります。

なぜ敦賀だったのか。敦賀観光協会は、日本海に面し都にも近い敦賀が当時、大陸との交易の玄関口として栄えた港町であり、古代中国の陰陽五行説を基礎とする陰陽道を修めるうえで、大陸の情報が絶えず届くこの地は研究に都合がよかった、という説を有力とします。晴明公の敦賀滞在は当時の記録で確かめられるものではなく、社と町に伝わる伝承です。

社は明治十一年(1878年)に社号を晴明神社と改め、明治二十四年(1891年)に春玉稲荷を合祀、大正五年(1916年)に西方の元朝市場から現在地へ遷座したと由緒書は記します。南北朝時代の金ヶ崎の戦い、織田信長と朝倉氏の戦火にも焼かれず、近代の敦賀空襲でも被災を免れたと伝わることから、火除け・防火の神として崇敬されてきました。

見どころ

民家のような小さな拝殿の中に本殿が納められ、祭壇の床下に御神体の祈念石が安置されています。六角形をした謎の石で、晴明公がどのような秘術に用いたかは伝わりませんが、晴明公の霊力を宿すと信じられてきました。床下を望む小窓から石を覗き、賽銭を投げ入れて石の上に載れば願いが通じると伝わります。石に弾かれることもあるといいます。

社は平時は施錠されており、土日の日中に開扉されるほかは、数日前に敦賀観光協会へ連絡して拝観します。周囲は敦賀市立博物館(重要文化財・旧大和田銀行本店本館)、みなとつるが山車会館、博物館通りの町並みが集まる一角で、あわせて歩けます。

アクセス

所在地
敦賀市相生町8-20
拝観
土日 9時〜16時。平日・時間外は数日前に要連絡(敦賀観光協会 0770-22-8167/敦賀観光案内所 0770-21-8686)。拝観無料
公共交通
JR敦賀駅から「ぐるっと敦賀周遊バス」約5分「博物館通り」下車、またはコミュニティバス松原線「山車会館」下車。タクシー約8分
車
北陸自動車道「敦賀IC」から約10分。駐車場なし

住宅地の中の小さな社です。祈念石を拝む場合は必ず事前に連絡してください。

周辺の関連スポット

  • 木田神社(福井市西木田)——境内に晴明公を祀る晴明神社がある総鎮守。晴明公が火伏せの法を修したと伝わります。
  • 賀茂神社(福井市加茂町)——晴明公の師と伝わる賀茂氏を遠祖に仰ぐ古社。秘伝書による三百種の守札で知られます。
  • 天社土御門神道本庁(おおい町名田庄)——晴明公の子孫・土御門家が陰陽道宗家として祭祀と暦術を伝える本庁。
  • 晴明神社(京都・堀川一条)——晴明公の屋敷跡に創建された晴明信仰の中心。

よくある質問

京都の晴明神社とはどう違うのですか。
京都の晴明神社は晴明公の屋敷跡に御霊を祀る神社です。敦賀の晴明神社は、晴明公が滞在中に日夜参詣したと伝わる保食神の神祠を起源とし、晴明公ゆかりの祈念石を御神体として祀ります。
社殿の中に入れますか。
平時は施錠されています。土日の9時〜16時は開扉され、平日や時間外に祈念石を拝みたい場合は、数日前に敦賀観光協会へ連絡が必要です。
祈念石とは何ですか。
晴明公が天文の奥義を究めるために供したと伝わる六角形の霊石で、御神体として祭壇の床下に安置されています。小窓から覗いて拝み、投げ入れた賽銭が石の上に載れば願いが通じると伝わります。

出典・参考

社寺・関係者の方へ:掲載内容の訂正、写真のご提供、取材・掲載のご相談はお問い合わせからお願いいたします。

最終更新:2026年8月31日

御祭神
安倍晴明公・保食神
御神体
祈念石(祭壇床下・小窓から拝観)
拝観
土日 9時〜16時。平日・時間外は要事前連絡
駐車場
なし
所在地
〒914-0062 福井県敦賀市相生町8−20
地図
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