小豆色の石を積んだ塚
塚は国道150号からやや南に入った砂地にあり、国道の海側に立つ案内板が目印です。小豆色の石を積み上げた塚を竹の垣根が四角く囲い、脇に由来を記した案内板が立ちます。
晴明塚は、遠州灘に面した掛川市大渕の砂地に、小豆色の小石を積み上げて祀られた塚です。この地に立ち寄った安倍晴明公が津波除けの祈祷を行ったと伝わり、疫病除けの赤い石の言い伝えとともに「遠州七不思議」の一つに数えられ、掛川市の史跡に指定されています。
掛川市の指定文化財(史跡)「晴明塚」。昭和五十三年(1978年)十一月二十九日に旧大須賀町が指定し、平成十七年(2005年)の合併後は掛川市の文化財として、地元の浜地区が所有・管理しています。市の一覧は「陰陽師安倍晴明の伝説が残る赤い石を積んだ塚で、遠州七不思議に数えられている」と記します。
現地の案内板が伝える由来は次のとおりです。今からおよそ千年前、京の都に天文暦学に通じた陰陽師・安倍晴明がいた。荒波で聞こえた遠州灘に面するこの地に立ち寄った晴明公は、たびたび津波に襲われてきた村人の乞いに応じ、あずき色の小石を積み上げて熱心に津波防止の祈祷をした。その霊験により、以後この村には津波の災難がなくなり、村人は自然の暴威を鎮めた晴明公の徳を讃えて、この塚を晴明塚と呼ぶようになった——。案内板はさらに、塚に祈願すると疱瘡にかからないと信じられ、流行期には遠近から多くの参詣者があったこと、疫病予防のために赤い石を一個借り出し、お礼参りの時に二個にして返すこと、返した石はどんな色でも小豆色に変わると伝えられ、遠州七不思議の一つに数えられていることを記しています。掛川観光協会の案内も、無事を報告するお礼参りに石をもう一つ持参して返すと「一夜のうちに小豆色に変わった」と伝え、疫病の流行期には実際に多数の参詣があったようだとしています。
晴明公にちなむ塚は各地に残り、京都・嵯峨の墓所も中世には「晴明塚」と呼ばれていました。遠州灘の砂丘に築かれたこの塚は、津波と疫病という海辺の村の二つの恐れを、晴明公の名によって鎮めようとした信仰の形を、いまに伝えています。
塚は国道150号からやや南に入った砂地にあり、国道の海側に立つ案内板が目印です。小豆色の石を積み上げた塚を竹の垣根が四角く囲い、脇に由来を記した案内板が立ちます。
案内板や市の広報では「清明塚」と書かれることがありますが、市指定文化財としての名称は「晴明塚」です。
石を一つ借りて二つにして返す作法は言い伝えとして残るものですが、市指定の史跡ですので、石に触れる際は塚を崩さないよう十分に配慮してください。
同じ遠州七不思議には、晴明公が植えたと伝わる吉田町・能満寺のソテツも数えられています。
塚の周囲は砂地で足元が悪く、案内板から塚までは徒歩になります。海岸に近いため、強風時や悪天候時の訪問は避けてください。
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最終更新:2026年10月7日